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[パラグアイ]イグアス移民資料館でお勉強。

こんにちは。

 

パラグアイは日本人のイグアス移住区にやってきたところ。

 

ここにはペンション園田民宿小林という宿があって両方お世話になってきました。

 

今回はペンション園田さんでの話。

 

 

園田さんはこのイグアスにある移民資料館の館長さんをされている方だ。

 

移民に関する話をいろいろ聞かせてもらいたかったのでこのペン園に来たかったのよね。

 

園田さんは数年後のイグアス移住60周年に向けて資料を作成中だったり非常に意欲的な方である。

 

こちらがペン園。

 

今は宿業自体は息子さん達に任せているのかもだけど、たまたま息子さん達がいなかったからか、園田さんがずっと自分達の相手をしてくれた。

 

さっきも言った通り園田さんは移民資料館の館長さん。

 

ちょうど翌日日本からの団体客を案内する予定があったようで、その団体さんの後に自分達にも案内してくれることになった。

 

ってか日本からのツアー客がくるんだ、すごいマニアックだね。

 

はい、こちらがその資料館。

 

中に入ると、たくさんの当時の写真や耕作器具などが展示してある。

 

中には現天皇の若き日の姿も。40年近く前に天皇がここを訪れたみたいだね。

 

ここで園田さんが自分自身の話を混ぜながら移民の話をしてくださった。

 

てかそんな堅苦しい感じじゃなくて、オヤジギャグ満載で面白おかしく話してくれました笑

 

ちょこちょこクイズも交えたり、学校の先生みたいだね。

 

南米への移住先としてはブラジルやペルー、ボリビアなどもあるが、このパラグアイへの移住が始まったのは約80年前だ。

 

園田さん自身は当時まだ10歳とかの子供。両親と兄弟も含めての移住となったみたい。

 

日本は神戸か横浜からの出発だったかな?

 

パラグアイまでは船で1ヵ月以上もかかったという。

 

まだ子供だった園田さんは、船の中では船酔いで吐いちゃった人のお世話をしたり、船の中で男が気になる女性への手紙を渡す伝令をやったりと活躍したようだ。

 

そーいや移住後にパラグアイ人とケンカした話とかもしてくれたな、やんちゃ坊主だったようです笑

 

↓こうした船で渡った模様。

 

こちらが当時のパスポート。

 

まだ子供だった園田さんは、母親と一緒の家族パスポートみたいなものだった。

 

園田さんは最初このイグアスではない違う居住地にいて、その後このイグアスへと移動してきたようだ。

 

農業移民として到着した場所は何もない未開の地だ。

 

そこの木を切り開き畑を耕していったようだが、こんな一言では言い表せないような大変な苦労だったのだろう。

 

この熱帯の風土に慣れるまでも大変だったであろうし、作物も最初はなかなかうまく育ってくれなったようだ。

 

しかも最初は住居なども全部自ら作ったという。

 

↓日本から持ってきた食器など。

 

↓当時のパラグアイのお金。

 

まぁそうした苦労話なんだけど、ほんと園田さんがオヤジギャグを何度も挟んでくるのですげー面白かった。

 

例えば

 

「昔にもカラオケがあったのよね、今のとは全然違うけど」

 

と言う園田さんの足元にあったのがこちら。

 

空のオケ、、、苦笑 この説明文も園田さんが作ったんだろう笑

 

こちらは園田さんが大きくなってから仕事で使っていたという日本語のタイプライター。

 

こういうのは初めて見るな。

 

こうやって感じの文字がたくさんあるのよね、これを選んで一文字一文字打ち込んでいったみたい。

 

他にも色々説明してくれる園田さん。

 

具体的になぜ園田さん一家がこのパラグアイに移住を決めたのかは忘れてしまったけど(すみません。。)、「南米に行けば日本にはない果物や食べ物が食べ放題だ」っていうのが他の日本人一家含めかなりのモチベーションになっていたようだ。

 

当時の日本はまだまだ食べたいものが満足に食べられない、ましてやバナナとかの果物なんて貴重品って時代だったようです。

 

 

資料館には2時間ぐらいいたかな?


さっきまで他の団体客に同じような説明をしたばかりなので自分たちにも丁寧に話してくれて本当にありがたいです。

 

 

園田さんの話で特に興味深かったのがこちらの大豆の不耕起栽培の話。

 

不耕起栽培?って感じだったが、文字通り「畑を耕さない栽培法」との事。

 

なんでも畑を耕しちゃうと逆にその豊かな土壌が雨などで流されてしまうようで、それを防ぐために畑を耕さずにそのまま毎年大豆を育てるらしい。

 

これは後で実際に園田さんがその畑に連れて行ってくれた。

 

車でこんな道を走っていく。この赤土が豊な土らしい。

 

そしてこちらが収穫が終わった後の大豆畑だ。

 

枯れた大豆の枝がそのまま残っているね。

 

そして翌年さらにここに大豆を植えていくみたい。

 

この不耕起栽培はアルゼンチンかなんかの識者のアドバイスがあったようだが、始めたのは日本人らしい。

 

そしてこの効果がみるみるあったようで、今はパラグアイ全土でこの不耕起栽培が行われているようだ。

 

これによりかつては大豆を輸入していたパラグアイが、今では世界四位の大豆輸出国にまだなったのだからすごいよね。

 

こうした貢献度もあり、パラグアイで日系人は一目置かれている存在のようだ。

 

移民でただ出稼ぎって感じじゃなくて、こうしてその国の産業に貢献しているって話を聞くと、なにもしてないただの旅行者である自分でもなんだか鼻が高いわ。

 

 

そうした不耕起栽培で育った大豆。

 

多少もらっていって枝豆として食べたけどおいしかったなー。

 

パラグアイの豊かな大地の味がしました(適当)

 

いや、でも園田さんに色々話を聞かせてもらったのはほんと良かったです。

 

資料館だけでなく、宿でも園田さんとテレレを飲みながら色々話を聞かせてもらったのよね。

 

ほんと良い時間になりました。

 

宿での様子も書こうかと思ったけど長くなってきたので続きはまた明日でー。

 

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author:oka, category:158.パラグアイ, 06:55
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