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[ボリビア]チェ・ゲバラが処刑された最期の地を訪れる。

こんにちは。

 

今回はボリビアでも絶対に訪れたいと思っていた場所。

 

あのチェ・ゲバラの最期の地へ訪れた話です。

 

 

キューバ革命を成功させ、自身もキューバの閣僚となったチェ・ゲバラ。

 

だが彼は中南米でも革命を起こすという信念の元、全ての地位を捨て去りキューバを去る。

 

そして向かったのがこのボリビアだ。

 

だが、ゲバラは志半ばでボリビア軍に捕まり処刑されてしまう。。

 

 

この様子は映画「チェ 39歳 別れの手紙」を見るとかなり雰囲気がわかると思います。

 

そして今回はその映画の最後、ゲバラが捕まり処刑、埋葬された場所を訪れたわけです。

 

そもそもチェ・ゲバラって名前は聞くけどなにした人?って人もいるかもですね。

 

以前キューバの時にキューバ革命に関する記事を書いたので多少参考になるかもですね。あと興味ある方はグーグルなんかで調べてみてください。

 

[キューバ]革命博物館でキューバ革命について学ぼう。

 

あと「チェ 28歳の革命」の映画もゲバラの事がわかる映画で面白いですよ。

 

 

さて、そのゲバラ最期の地はバジェグランデとその近くのイゲラ村って所になる。

 

サンタクルスのオルーロ広場から出ているバスでますはバジェグランデへと向かう。(35ボリ、6時間)

 

で、到着したバジェグランデは山間の小さい町だ。

 

ここを訪れる外国人はほぼ100%ゲバラゆかりの地として訪れてるだろうね。

 

バスターミナルにあった町の地図には、ゲバラの絵付きでゆかりの場所が描かれていた。

 

宿は何軒もあったが、中央広場にほど近いCOPACABANAって宿にした。

 

宿にゲバラの写真満載のポスターがあってめっちゃ欲しかったわ。写真ごとにどのシーンで撮られたか解説もついてるのよね。

 

 

さて、バジェグランデの町中にある見所はガイドと一緒じゃないと見られないので、まずはツーリストインフォメーションへ向かう。

 

ここでガイドを斡旋してもらって一緒に行くという形でバジェグランデ内にあるゆかりの地を巡る。(1人40ボリ)

 

 

最初に来たのはセニョールデマルタという病院。

 

今でも現役の病院で普通に使われている。

 

ここの建物の1つに、ゲバラの絵とその言葉がでかでかと描かれている。

 

そしてその奥にあるこちらの洗濯場。

 

入り口にある「CHE」の文字。

 

どうやら処刑されたゲバラがこの洗濯台に置かれ数日晒された場所のようだ。

 

ゲバラの遺体がここに置かれていたのか。。

 

まぁ普通の場所なのであまり実感もないが、周り一面にかかれた言葉がただものではない雰囲気を作り上げている。

 

こうした絵も。ってかゲバラだらけ。

 

 

ここからタクシーに乗って移動したのがこちら。

 

「チェ・ゲバラ文化センター」となっているね。

 

ここはゲバラが実際に埋葬されていた場所だ。

 

ボリビア軍によって処刑されたゲバラは、その死後30年間埋葬場所が秘密にされていた。

 

1995年に関係者の告白により場所が特定され、1997年にキューバ政府などにより遺体は掘り返されキューバへ移送。

 

現在はサンタクララにゲバラの霊廟があるね。

 

そこにはすでに訪れているので興味がある方はこちらで。

 

[キューバ]チェ・ゲバラの聖地サンタクララへ。

 

 

で、こちらの建物が実際にゲバラが眠っていた場所だ。

 

内部にはこうして墓標みたいのがある。

 

写真だと小さくてわからないが、7つあるプレートのうちの一つがゲバラだ。左手前のやつね。

 

ゲバラと、一緒に処刑された6人がここに埋葬されたのであろう。

 

そしてこの建物の壁一面にゲバラの写真が飾られている。

 

サンタクララの霊廟では内部は撮影禁止だったのでこうした写真が撮れなかったのでここぞとばかりに撮らせてもらう。

 

これはサンタクララを陥落させた時のゲバラだな。

 

ゲバラとフィデル。

 

これは国連で演説した時のゲバラかな?

 

こちらは日本での写真かな? ゲバラはキューバの閣僚だった時に日本を訪れた事があるのよね。

 

その時に原爆の被災地、広島も訪れたらしいです。

 

そして一番有名な写真。

 

 

こことは別の建物の、博物館みたくなっている所ではゲバラに関する展示が色々とあった。

 

こちらはゲバラのお墓が公表され掘り返された時の様子。1997年と書いてある。

 

そしてこれはボリビア軍に捕まって処刑される直前の様子。

 

処刑後の写真もあったが、まぁここに載せるのはやめておきます。

 

でも遺体とは言え本当に綺麗な顔だったけどね。タッチじゃないけど。

 

ヒゲも生えていたなんだかキリストにそっくりな感じであった。

 

こちらはゲバラを捕らえていた学校の様子。これがイゲラ村という場所で後で行きます。

 

 

さて、「中南米での革命」という事でゲバラが拠点にしたのがこのボリビアだ。

 

でもなぜボリビアに?っていう疑問があったけどここのパネルに解説があった。

 

これによると

 

・南米の中心に位置しているため

・周囲5ヵ国と国境を接しているため(アルゼンチン、ブラジル、チリ、パラグアイ、ペルー)

・ゲバラの故郷、アルゼンチンから近かったため

・ボリビアの共産党との繋がりがあったため

 

とあるね。実際にボリビアに革命が必要だったのかは自分にはわからないけどゲバラはそう考えたようです。

 

 

これでバジェグランデ内でのゆかりの地は終了。

 

訪れる順番としては逆かもだけどこれからイゲラ村、実際に処刑された場所へと向かいます。

 

イゲラ村まではツアーって形で人数によって値段が違うんだけど、自分達は二人で1人200ボリ(3000円ちょい)だった。

 

でも実際はツアーってかただのタクシーチャーターって形になるのでタクシードライバーと直接交渉した方が断然安く済むようです。

 

 

イゲラ村はバジェグランデからけっこう遠くて車で2時間ぐらいかかったかも。

 

道中はこうして「RUTA DEL CHE」(チェの道)っていう看板が立っていたり

 

絵付きの看板もあったり、ほんとゲバラづくし

 

 

 

イゲラ村の少し手前で車を止め、チューロ渓谷という谷合を歩いて下っていく事になった。

 

向かう先はゲバラがボリビア軍に捕まった場所。そのシーンも映画でその様子が描かれている。

 

 

ふむ、ゲリラ活動していただけあってさすがに山の中だ。

 

こうした所を拠点に移動したり訓練したりとしていたんだね。実際にゲリラの様子が体感できるようでちょっと面白い。

 

そして30分ほど歩いてこちらのポイントに到着。

 

この星の部分でゲバラが捕まったようだね。

 

このモミュメントの壁にはゲバラの名言「HASTA LA VICTORIA SIEMPRE」(常に勝利に向かって)と書かれていた。

 

そして脇にあった石には「CHE VIVE」という文字を見かけた。

 

これはここだけでなくいろんな場所で見かける、こんな風に。

 

直訳すると「チェは生きている」って事だけど、

 

これは「ゲバラは死んでもその理想、信念は生き続けている」って事だろう。

 

日本でも「板垣死すとも自由は死せず!」ってあったけどそんな感じでしょうか。

 

 

そしてここで拘束されたゲバラはイゲラ村へと連行させる。

 

閉じ込められたのはこちらの建物。当時小学校だったらしい。

 

さっきの資料館にあった写真(上に載せた)と違うような?と思ったらどうやら改装されたようだけど。

 

今は博物館ってなっているようだ。

 

 

そしてこの場所でゲバラは銃に撃たれ、倒れる事になったのだ。

 

 

キリストで言うとゴルゴダの丘みたいな場所である。

 

 

内部に入ってみると、壁一面にゲバラに関する絵や写真などが貼られていた。

 

みなゲバラを惜しむような事が書かれていたと思われます。

 

 

そしてここだけでなく、村全体にたくさんのゲバラの絵やら写真がある。

 

ほんとゲバラだらけ。

 

ゲバラが処刑されたのが今から50年前なので、おそらく当時の様子を覚えているおじちゃんおばちゃんもいるんじゃないかな。

 

一応記念撮影。

 

そしてひと際目に付くこちらのモミュメントでも記念撮影。

 

キューバで買ったゲバラTシャツを着てというミーハー感丸出しだけど。

 

 

4mくらいの大きい立像もあった。

 

一緒に行ったしほさんも同じようなTシャツ着てたのよね、傍から見たらお前らどんだけゲバラにかぶれてるのよっていう笑

 

 

 

これらがイゲラ村で見れたゲバラゆかりのものです。

 

 

ところで、「チェ 39歳 別れの手紙」の最後、ゲバラがボリビア軍に捕らわれた時にすごい印象的なシーンがある。

 

捕らわれたゲバラの前に現れるキューバ出身のボリビア軍司令官。

 

ゲバラ「キューバ出身か。。裏切り者に話す事などない」

 

軍「お前になくても私にはある。 私の叔父はお前に殺された」

 

ゲバラ「・・・」

 

 

自分はゲバラはめっちゃかっこいいと思っているけど、彼のやってきたことに100%賛同しているわけではない。

 

って言うのは、フィデルらと成功させたキューバ革命だが、それは武装闘争という形で多くの血が流れているのよね、キューバ政府軍も革命軍双方にだ。

 

革命に必要な犠牲だった、と言えばそれまでかもだけど、実際に犠牲にあった家族や本人にとっては革命どころの話ではない。

 

遺族の中には革命やゲバラ、フィデルを憎んでいた人達も少なくはなかっただろう。

 

革命の裏側にはこうした人達がいたのも事実。この司令官もその一人だ。

 

 

 

そして、こうして志半ばでゲバラは処刑されてしまう。

 

当時ゲバラはすでに国際社会では超有名人だったわけだけど、ボリビア軍にとっては国家転覆を試みる脅威そのものでしかない。

 

これは処刑されてもおかしくないよね。

 

ゲリラとテロリストとはまた全然違うかもだけど、政府から見たら脅威という点では同じである。

 

 

あと個人的な考えだけど、ボリビアではうまくいかなかった最大の理由は「ボリビア現地人の協力を得られなかった」事かなと思う。

 

いくらゲバラが「革命、革命」と言ってもそれが国民全体の意思によるものでなければ意味がない。

 

「チェ 28歳の革命」でゲバラがサンタクララを陥落させてキューバ軍の司令官と話した時に「これはクーデーターじゃない、革命だ」と言うシーンがある。

 

クーデターってのは一部の人間や団体が、国民の意思とは関係なく政権を奪い取ることだ。

 

タイの軍隊が政権握ったのはこれね、クーデターだ。

 

一方革命は"国民の圧倒的な力によって政権を交代させるもの"、なのである。

 

そうした点で言うと、ボリビアの現地人からの賛同、協力が得られなかったのはキューバの時とは大きな違いだ。

 

これも映画でのシーンだけど、先のキューバでは各地でキューバ現地人がどんどん革命軍に志願して参加していく様子がわかる。

 

多くのキューバ人が政府への不満を持ち、革命軍に賛同、参加してキューバ政府軍をやっつけた。まさに革命である。

 

 

一方ボリビアでは、ボリビア人がゲバラらと政府軍との間でとまどい、最終的にはボリビア軍には逆らえずに軍に協力してゲバラ達の動向をボリビア軍に伝える、というようなシーンがある。

 

現地人の賛同が得られなければ革命の成功はない。

 

ゲバラの理想だけではボリビアの現地人は動かせなかったみたいだね。

(これもゲバラはボリビア人はボリビア軍の嘘を信じてしまっている、と言っていたけど)
 

 

ともあれキューバを革命に導いた英雄はここ倒れたわけである。

 

キューバで特に影響されまくった自分がこうして実際にゲバラゆかりの地を場所を訪れる事ができたのは良かったかな。

 

ゲバラに興味ある方は是非訪れてみてください。

 

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author:oka, category:157.ボリビア, 12:45
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