RSS | ATOM | SEARCH
「命のビザ」で辿り着いたのは、スリナム。

トリニダードトバゴを出て向かうのは南米大陸!

 

ようやくの南米って事で、自分の旅もようやく世界一周っぽくなってきました笑

 

その南米で、最初に降り立ったのはスリナム

 

「ギアナ三国」と呼ばれる、南米の右上にちょこんとある3つの小さい国のうちの一つです。

 

南米の国は全部行くので、ルート的にまずこのギアナ三国から周るのが良さそうだったのでね。

 

 

 

さて、トリニダードトバゴの航空会社「Caribbean Air」を使ったんだけど5時間も遅れてくれました。。

 

もう勘弁してほしいよね。

 

午後9時発の飛行機が結局午前2発。。

 

今日はスリナムに到着したらそのまま空港泊の予定だし、飛行機が遅れても日程に影響はないんだけどこれだけ遅れるのは全く嬉しくない。

 

ってか一番気に入らないのは、5時間遅れても謝罪の言葉とか申し訳ないみたいな気持ちが全く見られない事かな。

 

まぁその辺りが気になるあたりは、やはり自分は日本人だなとは思うけど。

 

でもやっぱりおかしいもんはおかしいからねー。

 

 

 

まぁそんなこんなでスリナムに到着したのは午前4時。

 

 

だと思ったら時差が1時間あったみたいで午前5時みたい。

 

もう朝じゃん。。

 

 

外はまだまだ暗いので7時くらいまで仮眠でもするかーと思ったけど、次の飛行機が来るのはお昼らしく、要は昼までタクシーとかシャトルバスみたいな乗り物がなくなってしまうようだ。。

 

一応ローカルなバスでも町中心まで行けるようだが、この時間では両替もできないし、ATMもまさかのVISAが対応してなくて現地通貨を手にできない。

 

って事で結局このままシェアタクシーでホテルまで行くことにした。

 

空港から町も45kmぐらいあるらしいしね。

 

タクシー代20USDは安くはないが、もう疲れていたしここは払ってもいいだろう。

 

なんせこのスリナムでは宿代がさらに下がり、一泊12USDになるからね。

 

20ドルのタクシーも、トータルで考えればそこまで痛い出費ではない。

 

 

宿に到着したのはまだ6時半とかだったけど、無事にチェクインできた。

 

そのまま仮眠し、ってか結局この日は1日休息日とした。

 

カリブを抜けて物価も下がったし、もう飛行機など日程の縛りもなくなったからねー。

 

まぁゆっくりやりましょう。

 

↓泊まった「Guesthouse De Kleine Historie」

 

ドミで12ドルで朝食付き。オランダ式の古い建物はバルコニーなどもあって雰囲気も良かった。

 

 

翌日は1日町歩き。

 

このスリナムは、南米にある国だけど国民の大体が黒人なので、南米よりもアフリカの方が雰囲気は近い。

 

国旗もなんとなくアフリカにありそうなやつ笑

 

そして黒人だけでなく、インド系、インドネシア系、中華系も多く他民族な国家となっている。

 

実際、町中で子供の集団とすれ違ったんだけど、黒人インド系、そして中華系が一緒に手をつないで歩いていた。

 

この光景にはちょっと驚いた。

 

スリナムでは普通な光景かもだけど、同じように他民族国家のマレーシアではこうではない。

 

マレーシアには、主にマレー系、インド系、中華系といるけど、マレー系と中華系ではそもそも行く学校が別だからね。

 

マレーシアは他民族国家だけど、それぞれの民族には「壁」があり、多少の緊張があるのも感じていた。

 

でもこのスリナムにはそれがなく、別な民族同士が見事に融合しているって感じたかな。

 

てなわけで町中にはこうして中華とイスラムの同時に見られたりもする。

 

まぁこうした光景自体はマレーシアなどでもよく見るが。

 

 

 

これは中華系の寺かなんかかな?

 

 

なんか菊のマークがあったので日本大使館か?と思ったら違った。

 

むしろポルトガル文化センターみたいな感じだったけどなんだったんだろ?

 

 

 

さて、スリナムにはインド系移民が多いので、インドの英雄ガンジーの像があったり

 

インド移民の象徴の像があったりする。

 

ヒンズー教の寺院も見かけたな。

 

 

食に関しても豊富で、こうした中華料理や

 

インドのカレーやインドネシア料理などもあって幅広い。

 

これはローカルな料理だと思うけど基本カレー味だった。

 

カレーだとご飯が進むので良いよね。

 

最近食欲があまりなかったけど、これはけっこう食べれたな。

 

 

 

 

さて、さっき上の写真でも載せたけどモスクもあった。

 

多分インドネシアか、インドの移民によってもたらされたのだろう。

 

このスリナムはかつてオランダ領だったので、同じくオランダ領だったインドネシアからの移民が多かったみたいね。

 

 

 

そしてこちら、ユダヤ教の寺院のシナゴーグ。

 

 

 

なんとこのモスクとシナゴーグ、隣合ってるのよね。

 

ユダヤとイスラムが敵対しているイスラエルではまず見られないような光景だが、これも他民族なスリナムならではか。

 

 

 

 

 

 

そしてこのシナゴーグ。。。

 

 

なんでこの南米のスリナムにあるんだろう?

 

 

シナゴーグがあるって事はユダヤ人がいるって事なんだけど、

 

 

この理由、すぐにピンとくる人いますか??

 

 

 

わかった人はかなりの歴史好きですね。いずれ一緒に飲みましょう笑

 

 

 

 

おそらく、なんだけどこのユダヤ人達は第二次大戦の時にヨーロッパから逃げてきた人達だ。

 

ナチスによる迫害から逃れるため、当時逃げれる「抜け道」としてあったのが、当時オランダ領だったこのスリナムキュラソー島。

 

 

そしてここまで辿り着くルートとして、通ったのがシベリアや日本なのである。

 

 

ユダヤ人が日本を通るには「ビザ」が必要だったわけだが、当時の日本はドイツと同盟国だし、簡単にユダヤ人にビザを出すわけにはいかない。

 

 

 

 

 

が、

 

 

 

 

そこを独断で、ユダヤ人にビザを発行を続けた日本人がいた。

 

 

 

 

 

杉原千畝である。

 

 

 

 

 

当時リトアニアで領事代理という立場だった杉原さんは、日本本国の意思に背いて独断でユダヤ人にビザを発行した。

 

 

その数、約6000。

 

 

ユダヤ人達にとっては杉原さんの発行するビザは、アメリカやこのスリナムへ逃げるための命綱、まさに「命のビザ」だったわけである。

 

 

 

そして、その命のビザを手にした人たちがこのスリナムに辿り着いた。

 

 

 

杉原さんのビザに関しては、リトアニアの資料館などで見ていたが

 

まさかその「辿り着く先」に今自分がいるとは。。

 

 

ビザを発行して終わりじゃなく、ちゃんとそのビザを持ってこのスリナムまで逃げてきたユダヤ人達が本当にいたんだ。。

 

 

けっこう感動である。

 

 

世界は繋がっているんだ。

 

 

是非その辺の資料なんかがあれば見たかったが、シナゴーグは閉まっていたし博物館にもなかったのでようわからずだけど。

 

 

杉原千畝さんに関しては、過去のリトアニアで詳しく書いてますので良かったら是非。

 

「杉原千畝さんを知ってますか?」

 

 

 

 

スリナムに来る前はこんなのがあるとは全く気付いてもいなかったけど、個人的にかなりヒットかなこれは。

 

なかなか良い1日となりました。

 

 

--------------------------
ランキングに参加してます。
更新ペースは気まぐれですが、押して頂けると嬉しいのでよろしくお願いしますー。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

author:oka, category:141.スリナム, 06:16
comments(0), trackbacks(0), - -
Comment









Trackback
url: http://world-runner.jugem.jp/trackback/1182