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[ポーランド]アウシュビッツ強制収容所。
「アウシュビッツ強制収容所」。


第二次大戦中、ナチスドイツによりユダヤ人を虐殺するために作られた施設。


世界史を勉強した事があれば、誰もが知っているような場所。


ここはこの世界一周の旅中に、必ず訪れてみたいと思っていた場所である。


虐殺した施設が見たい、ってのは不謹慎なような気もするが、

これも人類の負の遺産、事実として直視してみたいという気持ちからですね。




そんなアウシュビッツに今回来ることができました。


ただ残念ながら、ここでは「中谷さん」という日本人のガイドの方が通常いらっしゃるのですが、自分が訪れた時は不在だったようで、ガイドなしで自力で周りました。。

やはり専門的な方に直接解説してもらいながら周れれば良かったのですけど仕方ない。

もしアウシュビッツ行かれる予定の人は、是非事前に中谷さんの日程など確認してみてください。

中谷さんの公式サイト(メールアドレスなどの載ってます)





さて、このアウシュビッツは、強制収容所という負の遺産ではあるが、

現在では博物館として一般公開されてある。


まぁ一般公開どころか実際は大量の観光客が押し寄せる場所ですね。


このような悲惨な歴史を、二度と繰り返さないため。。


ってことだろうが、実際には同じような歴史が何度も繰り返されている。


それはまた後ほど話す、かはわからんけど、早速第一収容所の方へ。


たくさんの観光客が並んでいますね。


※オンシーズン中は、第一収容所は午後3時まではガイドツアーに参加が必須。

自分は先に第二収容所を周り、午後3時が過ぎてから第一収容所を一人で周りました。

実際自分が周ったのと順序が逆ですが、わかりやすいように第一収容所の様子から。



第一収容所への入り口。

遮断機がつけられたゲートには「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれている。



そうは書かれてあっても、実際それを信じていた人はどれだけいたのだろうか。

絶望的な環境下にあり、どれだけの希望があったのか。。


ここの「B」の文字がさかさまにつけられたのは、囚人によるささやかな抵抗だと言われている。




このアウシュビッツ収容所、そしてユダヤ人の虐殺はそもそも何故行われたのか?


虐殺を行ったのは第二次大戦中のナチスドイツ。

理由については色々あるらしいが、

第一次大戦に負け経済的に苦しかったナチスが、それをユダヤ人のせいにすること、

またそうして不満のはけ口を作ることでドイツ国内をまとめていこうとしたようです。
(この辺の理由は、自分がネットとかで見た知識です。。中谷さんに直接伺ってみたかった。。)


↓これはハンスフランクとかいう「ユダヤ人は抹殺しなければならない民族だ」と言ったという看板。




ナチスのトップはご存知ヒトラー。

これの基、また彼に同調する部下たちによってユダヤ人の迫害は広がっていったのだろう。


このアウシュビッツはヨーロッパのほぼ中心で、ヨーロッパ中からユダヤ人や、ジプシーなどが集められました。

130万人がアウシュビッツに連れてこられ、そのうちの9割がユダヤ人。




こうして集められたユダヤ人は、ここで強制労働させられるか、連れてこられてそのまますぐに殺されるかなど、まさに絶望的な状況だったよう。


この博物館には、その虐殺に使われていた「チクロンB」という毒ガスの缶が展示されている。

元は殺虫剤らしい。また、これを作っていた会社も、この毒ガスが虐殺に使われているとわかりながらもナチスに売り続けたようだ。



大量に積まれた缶。



こちらは殺されたユダヤ人たちがしていた眼鏡。



義足など。



カバン。

このアウシュビッツには強制的に連行されてきた人がほとんどだが、

中には「安住の地」とか「農地購入」とか、騙されて連れてこられたユダヤ人もいるという。

このカバンには、また後で自分の手元に戻ってくるように持ち主によって名前などが書かれたようだ。

だが、実際に持ち主の元に戻ることはなかったのだろう。




これは当時の囚人の食事

1回の、ではなく1日の食事のようだ。

朝は右にある黒い飲み物。昼は左の、ほぼ具の入ってないスープ。

夜はパンにマーガリン3gだという。。

ただでさえカロリーなどなさそうな食事で、これで1日中労働させられたのだ。

当然力も入らないだろうし、痩せ細っていく一方である。

体が弱り、働けなくなった人は容赦なく殺される。

ここではユダヤ人は、ただの使い捨ての労働力だったわけです。



これはアウシュビッツが放棄された時に生きて解放された女性の写真。

ガリガリですね。



↓銃殺に使われた場所「死の壁」。ここで数千人が処刑されたらしい。



またアウシュビッツでは、これら囚人にたいして人体実験なども行っていたようだ。

ほんと人権なんてものは存在せず、ドイツ人のやりたい放題だったのだろう。






こちらはガス室。

虐殺に使われていた場所ですね。

後ほど訪れる、第二収容所の方がもっと広くシステム化された虐殺場だったようだが、

ナチスがここを撤退する時に証拠隠滅として第二収容所は破壊していったので、こうして現存するのは小規模だった第一収容所のもの。





中は薄暗くどんよりとした雰囲気。

ここはガス室ではあるが、囚人たちには「シャワー室だ」と言って入らせたという。

「毒ガスで殺される」というのはすでにユダヤ人にも噂で流れており、この部屋に入れられた時の恐怖なんかはもはやこちらに想像できるものではない。。


あまり覚えていないが映画「シンドラーのリスト」で、こういうシャワー室の描写があったような。

おびえながらもシャワー室に入り、そこが毒ガスではなく本当にシャワーが出てきてみんな歓喜の声をあげる、みたいなシーンがあったと思います。
(第二収容所の奥にシャワー室があったので、映画はそこかなとか思ったり)


ここの天井には、実際には水の出ない、にせもののシャワーが取り付けてあったそうだ。




そしてこの部屋の上に小さく開いてある穴。

ここからさっきのチクロンBの缶が投げ入れられ、中にいる囚人達が殺されたそう。

毒ガスで死ぬまでには20分ほどかかったらしく、かなり苦しい思いをして死んだことになる。



そしてこのガス室のすぐ隣には焼却炉がある。



最初はさっきの「死の壁」などで処刑されていったが、虐殺はどんどん効率化されるようになり、こうして毒ガスを使われるようになったという。


そしてこれらは第一収容所のものだが、

第二収容所ではこれがもっと大掛かりに、もっと効率よく、システム的に行われたらしい。

↓第一収容所を囲む電流有刺鉄線。



ここだけでも、十分に悲惨さが伝わってくるが、

まだ第二収容所があるのでそちらへ移動。



さっきちょっと書いたけど、

こちらには線路が引かれ、列車、ってか貨物車みたいのでヨーロッパ中からユダヤ人が運びこまれ、そのままガス室送りにされていったようだ。

もはやこれは「殺人のための工場」である。



ユダヤ人が連れてこられた列車の一部が残されている。

青空ってのもあり、なんとも爽やかな写真になってしまったが、実際は絶望への輸送車だったんだよね。



第二収容所にもたくさんの有刺鉄線が残されている。






ここには当時の写真などが残されている。

列車で連れてこられた家族の写真。




奥に並んでいるのがユダヤ人たち。

手前のがドイツ人。



所有物だった家族の写真など。




連れてこられた人たちはそのままガス室へと入れられたみたい。

そのガス室は、撤退時に証拠隠滅のため破壊されたようだ。


ここがガス室への入り口だったようだ。



当時の写真が少し残っていた。こちらは焼却炉。




第二収容所の奥には、平和への祈りがこめられた記念碑が建てられていた。







これでアウシュビッツは一通り周ったことになる。
※実際はけっこう広い。



これらの展示物や説明、残された施設を見ている間、ずっと


「なんでここまでして虐殺を行えるのか。。」


と考えていた。


ナチスが、というだけでなく人間ってのはこうも恐ろしい事をできる生き物なんだなと。


ここでの虐殺や囚人の管理などは、ちょっと特権階級っぽいユダヤ人にやらせるという、

ユダヤ人がユダヤ人を管理するみたいな図になっていたようだが、

それでも7000人近いドイツ人がここに携わっていたらしい。


「虐殺」という言葉だけではすぐにイメージできないが、

もし自分がなんの罪もないのに、いきなり「○○人だから」という理由だけで殺されると考えると本当に恐ろしいことである。


ここに携わったドイツ人たちは、自分がそうやられる方の立場だったら、とか考えた事はなかったのだろうか??


アウシュビッツ収容所の所長だったヘスって人が、アウシュビッツでの行為を理由に戦後絞首刑にされたが、

その際に「上の命令に従っただけだ。」と言ったらしい。


個人としておかしいと思った人もいただろうが、結局は組織の流れに同調するしかなかったのだろうか。。




このアウシュビッツでは、

こうしてユダヤ人の国、イスラエルの国旗を持った若者がたくさんいた。

おそらく修学旅行のような形で来ていたのだろう。







自分たちの仲間が、意味もなく理不尽に数百万人も殺されたという事実。


彼らにとって当然おもしろい話なわけがない。


人によっては、同じようにドイツ人も殺してしまえ。と思う人もいてもおかしくないだろう。



日本では「やられたらやり返す、倍返しだ!」なんてのが流行語になったけど、


国際社会、戦争なんかにおいてはこんなこと言ってたらどんどん泥沼かしてしまう一方だ。

ユーゴ紛争なんかはこの「やり返す」が重なっていったわけだろうし。


倍返し、、半沢直樹自体はすごい好きではあったけど、倍返しってのが教育上良いのかわからん。。

このあと、旧ユーゴ圏で紛争の爪痕なんかを見てきたが、あそこも「やり返す」が重なって泥沼化していったわけである。



そしてこうして来ているイスラエルの子たち。

第二次大戦のあと、建国されたイスラエル。

確かにこのアウシュビッツを見る限りではユダヤ人に対して「かわいそう」という印象を持つと思うが、だが今度はそのユダヤ人がパレスチナ人に対して抑圧や処刑なども行っている事実もあるのだ。


「倍返し」ではなく「恩返し」のような平和的な社会になる日が来ることを祈ってます。




旅中では他にも

カンボジアでポルポト政権による虐殺

トルコでのアルメニア人の虐殺

ルワンダでの虐殺

そして中国は南京での日本軍による虐殺

といった記念館を訪れています。

特に南京での虐殺記念館。

日本軍による虐殺の展示がされていて、どれが本当でどれが捏造されたものかはわからなかったが、そうした事実は少なからずあったと思います。

なので決して虐殺って(日本人にとって)他人事って感じもしないんですよね。

過去の事ではあるけど、それを認識して、意見を持つことは大事かなと。



これだけ色々考えされられたのは久しぶりでした。


ただ楽しいだけじゃない、考える旅をしているんだと気づかされたアウシュビッツです。



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author:oka, category:90.ポーランド, 07:20
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[ポーランド]クラクフ到着!まずは観光
チェコから次はポーランドのクラクフへと移動。


最初は、プラハで3泊して次の日の朝のバスでクラクフへ移動するつもりだったけど、

プラハは2泊で3日目の夕方のバスで移動することに変更。


今後の日程を考えると、移動で1日使うよりも、

夕方に移動して、翌日は丸々1日観光(アウシュビッツ)に使えるようにした。


今後、とりあえずロシア入りを目指すんだけど、

ロシアビザの申請の日程、さらにその前のベラルーシビザの申請の日程などを考えると、やはりこの方がよさそうだったんだよね。


ヨーロッパ入ってから、宿の予約とかバスの予約を前もってするようになったけど、

こうして後で変更とかして宿代とかキャンセル料が無駄になっちゃったりしてるがまぁ仕方ない。。


ってことで、プラハを午後4時発のバスでクラクフへと向かった。


バスはウクライナ行きのバスのようで、乗客はみんなウクライナ人と思われる。

実際、クラクフで途中下車したのは自分一人だったし。


ってそれは別にいいんだけど、

普段クラクフなんかで途中下車する奴なんていないのか、

なんとバスのドライバーも乗務員も、クラクフのバスターミナルの場所を知らないみたいで、

クラクフの町中に入ってからバスを止めてその辺のタクシーとかに何回も道を聞いていた。。



しかもそれでも結局わからんかったらしく、

挙句には「お前もうここからタクシーで行け」とか言う始末笑


いやいや、、笑 タクシー代出してくれるならそうするけどさ。



はい、ここでドラえもんの道具並みに登場させたのは自分が持ってるスマホ


って実はさっきからGPSであとどれくらいかずっと地図でわかってたんだよね。

まぁ俺がおせっかいに道案内するのもあれだしな、と思って別に黙ってたけど、

そういうことならと、自分の地図でナビゲーションをして無事にバスターミナルに到着。



そこから宿までも、これまたGPSで迷い知らずで到着。


ほんと便利な世の中になりましたよねー。

旅の”大変さ”は減ってるかもしれないけど、圧倒的に”便利な”世の中になりましたね。


他にも、出会った人とはすぐにFACEBOOKでつながったりするけど、

「深夜特急」なんかの時代だと「住所を交換」とか「手紙は大使館留め」とかですもんね。

ガイドブックなんかも充実してなかっただろうし。

まぁ旅の仕方も時代によりけりですな。

そーいや旅の最初は、まだmixiの方が主流だった気がするな笑

個人的にはmixi大好きだったけど、最近はほんと見ないし使ってる人もいなさそうですね。。





さて、宿に到着したのは日も変わった午前2時。

まぁこれは最初からわかっていたので、あらかじめ24時間受付の宿に予約を入れていたんだよね。


で、もうみんな寝てるだろう、、と思いながら、そっと部屋のドアを開けてみると、

ありゃ?10人部屋のドミトリーなんだけど、誰も部屋にいないぞ。。


荷物はあるので、泊まってる気配はあるんだけど。。

と思ったら「みんなナイトクラブに行ってるのよ」と宿の人。


あ、左様ですか。。


なんか欧米人ってそーゆー遊び好きですよね。

まぁ日本人でもそーゆーの好きな人はたくさんいると思うけど、欧米だと飲みに行く=クラブってイメージ。

自分はクラブみたいなのに行くよりは、宿でパソコンいじってる方がよっぽど楽しいインドア系旅人なんだけど笑



まぁとりあえずベッドに入り、3時くらいようやくうとうとしてきたぐらいに部屋の他の客たちがクラブから帰ってきた。。


みんな酔っているせいか、寝てるこっちの事は気にせず電気つけたり大声で話したりとかんべんしてくださいよ。。


まぁいかにも大学の休みで遊びにきましたって感じの人たちだったかな。


そもそも、こちらは明日アウシュビッツ行くってのでお酒飲んではしゃごうぜー!とかそんな気分にはまったくならないのだけど。。


ってこの人たちの何人かも、多分今日の昼間アウシュビッツ行ってると思うんだけど??


昼間はアウシュビッツで「Oh,,,sorry」とか言っておいて、夜は「Yeah--!!」とかはしゃいでるんだよね、きっと。

まぁ別にいいんだけど、それを想像したらなんだかな〜って気分。。


そんなことを考えながらいつの間にか寝てた。







で、次の日はアウシュビッツに向かったんだけど、

まぁ話が長くなるので、それはまた明日として、今日は先に次の日に歩いたクラクフの町でも紹介。



クラクフって、「アウシュビッツの拠点の町」ぐらいにしか知らなかったけど、

実際はかなり見所のある、観光客の集まる町でした。


まず向かったのは「中央市場広場」とかいう場所。

真ん中に立派な建物があるが、これが市場ってことね。



中は市場は市場なんだけど、、みやげ物屋ばっかりだ。

それだけ観光客が集まる町なんだろうね。

特にみやげ物には興味なにのでパス。



それよりも、市場の外でフリーマーケットみたいのやってて骨董品とか古本を売る店が並んでいて、こっちの方がちょっとおもしろいかな。


↓本を物色中。


↓広場沿いに立つ立派な教会。


↓笛を吹いてる羊の像。


今日もけっこう暑く、

こうして噴水の周りには人が集まる。

のんびりした光景だね。



クラクフの旧市街は城壁で囲まれていた。

まぁ今は壁に絵とかみやげ物がつるされ平和そのものですな。


こんな感じ。


↓その辺にあったコーラの自販機。

ちゃんとでてくるのかな??



さて、お次はヴァヴェル城とかいうお城へ。

ここへ来たのは、お城の観光というよりも、1枚の絵を見に来たのです。





その絵とはあのダヴィンチの描いた「白貂(しろてん)を抱く貴婦人」


しろてんってなに??って感じもするが、この白いネズミ?みたいなやつですね。


ミラノで「最後の晩餐」を見て完全にダヴィンチファンになったわたくし、

これは見ておかねばなりませんな!


ってダヴィンチの絵がクラクフにあるなんて知らなかった。。

クラクフ着いて、さーて何が見所なのかな?ってガイドブック開いてようやく知った程度ですけど。。


↓チケットにはすでにその絵が書かれている。まぁこれです。

以前は、クラクフの美術館にあったようだけど、

今ではこのお城の一室に、この絵が1点だけ展示されている。



「最期の晩餐」ほどではないが、それなりに厳重な警備のいる部屋に置かれてある絵といざざ御対面。。

↓本物は撮影禁止なので表にあった看板で。



ふむ、やはりこの動物はなんだろう??


ってのが気になるが、やはり全体的にミステリアスな雰囲気が醸し出されている。。。


絵の技術とか構図とか、そうした専門的なことはわからないが、やはりこの絵からも「オーラ」を感じる事ができた。。

まぁそれはダヴィンチの絵だから、っていう先入観からきてるのがほとんどだろうけど笑



見ていたのは5分程度だったが、かなり満足。


とりあえずこの後、ロシアのエミルタージュ美術館にもダヴィンチの絵があるそうなので楽しみである。。

あとはロンドンとかフィレンチェの美術館かな。


ってことで満足したのでお城を後にする。

↓中心のでかい建物は教会みたいだね。






ダヴィンチの絵も見れて、まぁ満足かなー。

あとは適当にふらふらして終了。

↓もの売りのおじさん



あ、あと明日紹介するアウシュビッツに関連するが、

このクラクフにもかつてはユダヤ人街があり、こうしてシナゴークとかユダヤ人の家がけっこう残されている。。

クラクフなんかアウシュビッツのすぐ近くってのもあり、ここにいたユダヤ人たちはみんな連れて行かれたんじゃないかな。。

お城とかの観光だけでなく、こうした場所を訪れて見るのが、考えさえられることはありますね。




ってことで、次回はアウシュビッツのお話で。

決して楽しい場所ではないが、世界一周出るときから必ず訪れたいと思っていた場所です。



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